日本医科大学小児科学教室沿革史

 日本医科大学小児科学教室は大正5年10月の日本医学校時代に小杉文吉先生により初めて開講されたが,当時は付属医院に診療室も無く,臨床講義もなされなかった.
 大正8年日本医学専門学校の指定を受け,田中幸一先生が小児科部長に就任し,大正10年1月,付属本郷医院(現付属病院)の増築により小児科外来診察が開始された.
 関東大震災後の大正13年7月,付属飯田町医院(平成9年に閉院した付属第一病院)を増設,同時に田中先生に代わって石橋長英先生が小児科部長に就任した.同年9月,付属本郷医院の部長に平澤精蔵先生が就任し,石橋先生と交互に両医院の診療に当たった.

大正15年2月 日本医学専門学校より日本医科大学に昇格するとともに飯田町医院は第一医院に,本郷医院は第二医院と改称される.
昭和2年4月 石橋先生の退職に伴い磯田仙三郎先生が赴任し,付属第一医院小児科部長になり,平澤先生は第二医院の小児科部長となる.
昭和5年3月 医学専門学校廃止とともに磯田先生は退職し,平澤先生が大学教授ならびに第一,第二医院の小児科部長となる(此処にいたり初めて一学科一講座の小児科学教室の体を成すに至たる).
昭和12年6月 付属丸子病院(昭和15年付属第三医院と改称)開設.草野興二先生が初代小児科医長となる.
昭和18年1月 加藤勝治先生が小児科教授に就任される.
昭和21年3月 加藤先生が退職される.
昭和24年2月 木田文夫先生が小児科教授および付属第二医院の小児科部長に就任される.
昭和25年3月 平澤先生が退職され,同年10月村上勝美先生が小児科教授および付属第一医院小児科部長に就任される.
昭和29年2月 付属第二医院は付属医院と,付属第三医院は付属第二医院と改称される.
昭和38年4月 付属医院は付属病院,付属第一医院は付属第一病院,付属第二医院は付属第二病院と改称される.
昭和42年 付属第二病院小児科部長に桑原賢直先生が就任され,昭和45年4月,桑原先生の定年退職に伴い,太田秀穂先生が部長となる.さらに,同年,木田先生の逝去に伴い,手代木正先生が付属病院小児科部長となる.
昭和49年4月 村上先生の定年退職に伴い,植田 穣先生が小児科主任教授および付属第一病院小児科部長となる.
昭和52年7月 本学四番目の付属病院として多摩永山病院が開設され,松岡和彦先生が初代小児科部長となる.
昭和56年4月 手代木先生が小児科教授に就任される.
昭和58年6月 平山恒夫先生が多摩永山病院小児科部長となり,さらに,昭和59年4月,小児科教授に就任される.昭和59年4月,太田先生が小児科診療教授に就任される.
昭和62年4月 植田先生が第一病院より付属病院の部長に,手代木先生が付属病院より第一病院の部長となる.
平成2年4月 植田先生の定年退職に伴い平山恒夫先生が小児科主任教授および付属病院小児科部長に就任,それに伴い向後俊昭先生が多摩永山病院小児科部長となる.同年4月植田先生逝去される.
平成3年4月 山本正生先生が教授に就任され,併せて手代木先生の定年退職に伴い付属第一病院の小児科部長となる.同年4月橋本 清先生が教授に就任される.
平成6年1月 本学五番目の付属病院として千葉北総病院が開設され,弓削邦夫先生が初代小児科部長となる.
平成6年4月 平山先生の定年退職に伴い山本先生が小児科主任教授および付属病院の部長に就任される.さらに,同年4月,太田先生の定年退職に伴い橋本先生が付属第二病院の小児科部長となる.
平成6年5月 山本先生の主任教授就任に伴い,村上睦美先生が第一病院小児科部長となる.
平成7年10月 村上睦美先生が教授に就任され,平成8年4月より弓削先生の退職に伴い付属千葉北総病院小児科部長となる.さらに,村上先生の北総病院小児科部長就任に伴い,福永慶隆先生が第一病院小児科部長となる.
平成9年10月 付属第一病院閉院となる.
平成10年4月 橋本清先生が付属第2病院院長に就任される.
同年8月 山本先生逝去.同年9月福永慶隆先生が付属病院小児科部長となる.同年9月橋本 清先生が主任教授代行に就任される.
平成11年4月 福永慶隆先生が小児科主任教授に就任される.
同年7月 村上睦美先生が付属病院へ異動される,藤野 修先生が千葉北総病院小児科部長となる.
平成12年4月 橋本清先生の定年退職に伴い松岡和彦先生が付属第2病院小児科部長に就任される.
平成14年4月 向後俊昭先生の定年退職に伴い飛田正俊先生が多摩永山病院小児科部長に就任される.
平成17年4月 松岡和彦先生の定年退職に伴い勝部康弘先生が武蔵小杉病院(旧付属第2病院)小児科部長に就任される.小川俊一先生が教授に就任される.
平成18年10月 前田美穂先生が教授に就任される.
平成19年4月 福永慶隆主任教授が付属病院病院長に就任される.