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アートってなんだろう。ひとえにアートといっても様々でそれが意味するところはきっと人によって異なる。造形、表情、音響、言語など多岐にわたる手段をもって、私たちは表現という行為を試みるだろう―――それは社会への一種の違和感を発信することだったり、何らかの形而上の存在にたいし己の中の抽象物、あるいは狂気を解放・発散することだったりする。そう、アートって確かに人により意味や方法・形態が異なるんだ。

図場としてのアート。例えば、ある場所に毎晩のように集まり、酒を飲み交わす。そこに集まる人々は様々で日々の生活を愚痴ったり、大いに夢を語ったりする。ときおり口論になり喧嘩したりもする。それぞれが現実や理想を冷静と情熱のなかでしっかりと時に脆くみつめている。相反する言葉の中でユレルユレル。そんなとき、ふとした一言で、決心したりする。お互いに何かを企んだりする。一人じゃできないと思いこんでたことをやってみようと思えたりする。そんな場所。私にとっては浪人時代の寮であり、ククイカフェだった。色んな表現や、はたまた芸術の潮流ってこんなところからできてくることもあるんだなって思う。学園祭がそんな場所にならないかなって思った。場は芸術だ。


マルコサイとアート。たった二日間の開催だけれどもそれぞれが時間をかけてアイデアや思いをつめた企画がたくさんあって、そこに多くの方が来てくれる。マルコサイという場、ある企画には作り手と来場者が同時に存在する。作り手側とお客側もっとフラットになれたらなって思う。壁なんていらない。きっと音楽家や美術家でなくたって、それぞれは色んな感情をもっていてそれを表そうとしている。みんな表現者なんだ。そして良くも悪くも思いは伝わる。マルコサイという場、様々な作品を通して集まる人の感性が混じり合ったらなと思う。馴れ合いでなく、一人でもあることを含めて。

図その完結。ある人が学園祭って花火のようだねと言っていた気がする。線香花火なのか打ち上げ花火なのかどちらのことをいっているのかわからないし、美しいものなのかどうかもわからない。ただ確かなのは終わりがあるということだ。マルコサイという場は完結する。まだ始まってもいないものに対してある種の寂びしさを感じる。ただ思うに、その場は完結しても、場としてのアートはその先に綴られるのかもしれない。そこを行き交った人々が人や作品との出会いによって新しいきっかけをみつけるような場になったらと思う。そんな学園祭にしたい。





 
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