About Nippon Medical School大学紹介

Philosophy & History理念と沿革

建学の精神

本学は「済生救民」(貧しくしてその上病気で苦しんでいる人々を救うのが、医師の最も大切な道である)を建学の精神とし、学是を「克己殉公」、すなわち「我が身を捨てて、広く人々のために尽くす」こと、また「愛と研究心を有する質の高い医師と医学者の育成」を教育理念として掲げ、これまでに1万人を超える臨床医、医学研究者、医政従事者を輩出してきました。

Founding Spirit 〜建学の精神〜
済生救民

「貧しく病で苦しむ人々を救う」の意味を持つ言葉「済生救民」 日本医科大学の前身である「済生学舎」の校名は ドイツの医学者フーフェランドの著書『医戒』に記された言葉からとられています。
済生学舎は、これを建学の精神として、 明治期の西洋医師の約半数を養成してきました。
この精神は、現在の日本医科大学に受け継がれ、 今なお、高い志を持った医師・医学者を輩出しています。

Founding Spirit 〜建学の精神〜済生救民

歴史と沿革

歴史と沿革

日本医科大学は、1876年に長谷川泰により創設された済生学舎を前身とし、創立150年を超えるわが国最古の私立医科大学です。本学の源流である済生学舎は、明治維新から間もない明治9年(1876年)、医師の早期育成を目的として設立されました。近代国家として歩みを始めた当時の日本において、西洋医学に基づいた開業医の育成は最重要課題の一つであったのです。「済生救民」「克己殉公」という建学の精神と学是は、設立者である長谷川泰の「私心を捨て、全ての人々を分け隔てなく助ける」という思想から定められ、今日の日本医科大学においても引き継がれています。

済生学舎は28年間の活動の後、明治36年(1903年)に廃校を余儀なくされますが、9,000名以上の医師、医学者を輩出し、当時の日本の開業医の半数以上が済生学舎出身者で占められるなど、日本の医療の土台作りへの貢献は大きく、この9,000名の中には、世界的な細菌学者である野口英世、小口病の発見者である小口忠太など現代の医学界にも名前を残す偉人も含まれています。また女性が働く事すら一般的でなかった明治の時代に130名以上の女性医師も済生学舎から生まれました。

済生学舎廃校に際して、在学生への教育を継続するため、旧済生学舎の教員によって同窓医学講習会が開校され、翌年の私立日本医学校の設立へと繋がります。その後、明治43年(1910年)に私立日本医学校付属駒込医院(現在の日本医科大学付属病院)、大正13年(1924年)に日本医学専門学校付属飯田町医院(旧 日本医科大学付属第一病院、1997年に閉院)、昭和12年(1937年)に日本医科大学付属丸子病院(現在の日本医科大学武蔵小杉病院)を開院し、診療体制の整備も着々と行われました。

昭和27年(1952年)に現在の学校法人日本医科大学となり、また同年には、伝統ある日本獣医畜産大学(現在の日本獣医生命科学大学)と合併し、1法人2大学での学校運営をスタートしました。

戦後復興、高度成長期と戦後日本の歩みとともに医療体制、設備の充実に努め昭和52年(1977年)に多摩永山病院、平成6年(1994年)に千葉北総病院を開院し、従前からの千駄木、武蔵小杉を加えた付属4病院と市ヶ谷の呼吸ケアクリニック、駒込の腎クリニック、成田の成田国際空港クリニックの開院で首都圏全域をカバーした診療体制を確立するに至りました。

明治43年(1910年)に千駄木で付属病院を開院して以来、この地で医学者の育成、医学の発展に力を注ぎ続けてきました。しかしながら長い歴史の中で、大学、付属病院の関連施設は老朽化が進み、創立以来、高い評価を受け続けてきた教育、研究、診療を今後も維持し、未来へつながる医療、医療人を創っていくためには、建物、設備の再開発が必要不可欠でした。 そこで平成18年(2006年)に創立130年を迎えた節目に、医学部教育棟、大学院棟、付属病院の建て替えを柱とした学校法人日本医科大学アクションプラン21(AP21)を策定し、千駄木地区再開発事業に着手しました。

医学部教育棟と大学院棟は平成19年(2007年)に建設が完了し、平成23年(2011年)に付属病院の建設工事に着手しました。日本医科大学の「全ては患者さんのために」という理念のもと、病院機能を止めずに建設を行うため、前期、後期及び外観・駐車場工事の3期約9年の長い工事となりますが、平成26年の3月には前期工事が完了し、8月4日に新病院棟での外来がスタートしました。そして平成29年8月に後期工事が完了し、平成30年1月に全館グランドオープンしました。

日本医科大学年表

1876年 4月 長谷川泰により日本医科大学の前身である、西洋医学による医師養成学校「済生学舎」が設立され、野口英世らを輩出した
1903年 11月 「済生学舎同窓医学講習会」の学生を対象に「医学研究会」を開講
1904年 4月 「医学研究会」は、山根正次が校長となり「私立日本医学校」として設立。
また、「済生学舎同窓医学講習会」の責任者・石川清忠が、駒込千駄木町に「私立東京医学校」を設立
1910年 3月 私立日本医学校、私立東京医学校と合併
1910年 11月 駒込千駄木町に付属駒込医院を開設(現在の付属病院)
1912年 7月 「私立日本医学専門学校」となる
1918年 4月 フーフェランドの著書をもとに学是を「克己殉公」と定める
1919年 8月 「私立日本医学専門学校」を「日本医学専門学校」と改称
1926年 2月 大学令により「日本医科大学」に昇格、予科を併設
1937年 6月 付属丸子病院を開設(現在の武蔵小杉病院)
1952年 2月 学制改正により新制日本医科大学となる
1960年 3月 日本医科大学大学院医学研究科を設置
1970年 4月 専門課程、進学課程を一本化し、6年制の一貫教育とする
1977年 7月 付属多摩永山病院を開設(現在の多摩永山病院)
1986年 9月 創立80周年記念として付属病院東館の改築が竣工
1986年 11月 「済生学舎」開校110周年記念祭を開催
1994年 1月 付属千葉北総病院を開設(現在の千葉北総病院)
2006年 2月 健診医療センター完成
2006年 4月 学校法人日本医科大学の創立130年記念式典を開催
2007年 11月 教育棟・大学院棟完成(現在の済生学舎1号館・2号館)
2010年 6月 日本医科大学大学院設置50周年記念行事を開催
2014年 4月 日本医科大学新丸子校舎が武蔵境へ移転
2014年 8月 付属病院前期工事完成・外来診療開始
2018年 1月 付属病院グランドオープン
2021年 9月 武蔵小杉病院新病院オープン

歴代学長紹介

中原徳太郎 大正15年2月 ~ 昭和2年11月
小此木信六郎 昭和2年11月 ~ 昭和3年1月
塩田 廣重 昭和3年1月 ~ 昭和35年1月
河野 勝齋 昭和35年2月 ~ 昭和37年9月
石川 正臣 昭和37年10月 ~ 昭和49年3月
丸山 千里 昭和49年4月 ~ 昭和49年9月
木村 義民 昭和49年10月 ~ 昭和55年9月
木村 榮一 昭和55年10月 ~ 昭和57年2月
石川 正臣 昭和57年2月 ~ 昭和57年10月
乘木 秀夫 昭和57年10月 ~ 昭和59年4月
常岡 健二 昭和59年5月 ~ 昭和61年9月
菊地 吾郎 昭和61年10月 ~ 平成4年9月
庄司  佑 平成4年10月 ~ 平成7年9月
早川 弘一 平成7年10月 ~ 平成12年9月
淺野 伍朗 平成12年10月 ~ 平成15年9月
荒木  勤 平成15年10月 ~ 平成20年9月
田尻  孝 平成20年10月 ~ 平成27年9月
弦間 昭彦 平成27年10月 ~